クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

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2017/2/5 祈りと分かち合い

 
2017年2月の KLカトリック日本人コミュニティ "祈りと分かち合い" は、
2月5日(日) にKL St.John's Cathedral バリッシュホール内教室で行いました。
 
この "分かち合い" は、イエス・キリストとの出会い、彼の弟子となり彼の友となる
ことをテーマとし、イエスとの人格的な出会い、特にこの方が私にとって何者なのか
私の人生とどういう関係があるのかをそれぞれが探していく旅を続けています。
 
初めに "アヴェ・マリアの祈り" を、マリアさまの "思い巡らす" という姿勢に倣い、
意識して皆で一緒にお祈りをしました。
 
そしてこの日は、"主の復活" をテーマに、関連個所の聖書の朗読と、気づいたことの
分かち合いをしました。
特に弟子たちが変わっていった様子の数箇所からは、彼らが変えられていった、
その復活体験を思い起こし、それぞれの体験とも重ね合わせて思い巡らせました。
 
以下は、その分かち合いの一部です。
① 弟子たちの、復活したイエスとの出会いは2000年前の出来事だが、私たちと同じ現代に生きたマザーテレサも、"私は渇く" というイエスの言葉と共に、復活した
イエスに出会っている。このことは信仰深いマザーへの尊敬と共にとても臨場感のある真実だ。
 
② 小さき人々の苦しみや悲しみをキリストの十字架に重ね合わせたマザーテレサの本を読んだ。私自身も悲しい時や苦しい時に、その時こそイエスさまが近くにいてくださるのを感じる。
 
③ イエスはありのままのこの私を受け入れてくださっている。謙虚な心が大切と思う。
 
④ 使徒信条にある "からだの復活" の意味は理解しづらいが、1コリント中の聖パウロの言う "霊の体" の箇所を読むと、蝶の一生のように同じ命でも違った形態に変態するイメージがわかる。この世の中はいつもざわついていて、その中に生きる私たちだが、イエスのみ言葉を読み聞くと、いつも心が優しくなれる。この方は超越した方だと実感する。
 
⑤ 親が亡くなった時に不思議な霊的体験をした。それは暖かなものだった。普段このことは人に話さないが、おそらく弟子たちの体験した主の復活の体験は、これと近いものだったに違いない。
 
⑥ 主の復活や、私たちの過ぎ越しと復活は中々わかりづらい。遠藤周作が言う "気張らない・あせらない・無理しない" は信仰生活を送る上で参考になる。
 
⑦ 地上の命を終えて神さまのもとに帰る日はいつか来るが、その一番大きな過ぎ越し以外にも、人生にはいくつか、ミニ死とミニ復活など、ミニ過ぎ越しがあるように思う。洗礼もそうだったが、日本を出てマレーシアに来た時も、私の "出エジプト" ミニ過ぎ越しだったと思いだした。
 
最後に、マザーテレサの祈り "わたしをお使いください" をみなで歌って、
感謝のうちにお開きになりました。
 
今後の "祈りと分かち合い" のスケジュール等、につきましては、
当ブログ内 "連絡先" に記載されている連絡先に、お気軽にメールでお問い合わせ
ください。
 
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最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてある通りわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてある通り三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。
(1コリント15:3-6)
 
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この方こそ、「あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石」です。 (使徒行録4:11)