クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

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2017/1/22 祈りと分かち合い

 
2017年1月、2回目の KLカトリック日本人コミュニティ "祈りと分かち合い" は、
1月22日(日) にKL St.John's Cathedral バリッシュホール内教室で行いました。
 
この "分かち合い" は、イエス・キリストとの出会い、彼の弟子となり彼の友となる
ことをテーマとし、イエスとの人格的な出会い、特にこの方が私にとって何者なのか
私の人生とどういう関係があるのかをそれぞれが探していく旅を続けています。
 
初めに "主の祈り" を、特に3行目の "み国が来ますように " の箇所を深く意識しながら
皆で一緒にお祈りをしました。
 
そしてこの日は "イエスは神の国をあらわす。神の国(神の世界)とは?" の
関連の聖書の箇所の み言葉をいくつか味わい、その後、疑問や感想・気づきなどを
自由に分かち合いました。
 
イエスの生涯をかけたメッセージであった "神の国" ですが、イエスがあらわした
神の国とその価値基準を知る時、私たちの人生や日々の生活がおのずと変わってきます
 
"神の国は、見える形では来ない。「ここにある」「あそこにある」といえるものでもない。実に神の国はあなたがたの間にあるのだ。" (ルカ17:20-21)
では、深く頷き、み言葉をかみしめ味わう方も多く、
"神の国は飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです"
(ローマ14:17) の箇所と共に、本質的な神の国をあらわすみ言葉を深く味わう
良い機会となりました。神が私たちと共にいてくださるということです。
 
以下は、その分かち合いの一部です。
 
① 今までは、神と自分との一対一の関係性に集中していたが、このルカ17:20 の
箇所を読むと、自分ひとりだけではなく、共同体や社会の中で共に神の国を目指して
いくべきと思った。
 
② 福音が告げ知らされ、救いは訪れているが、それを自分の側で気づくかどうか、またそれを受け入れるかどうか、ということが問題なのだと思う。
 
③ 神を中心にした考えで愛の行いをする時と、自分の都合でエゴになったりを行ったり来たりで反省する。マルコ5:25-34 出血症の女のように、イエスさまの衣の裾を
つかむチャンスは逃さないようにしたい。
 
④ 地上の世界は悪が本当に強く、日々の現実の生活の中で、祈りを通して神に助けを求めなければ、人間の力ではとても神の国を目指していくことはできない。
 
⑤ 神の国の特徴を見ると、愛・ゆるし・平和・喜び・解放・希望など、自分自身が
本当に心地よいと感じることで、ここに強く惹かれる。実生活で心地よいと思う状態や人々、場所は、神が私を招き、導いてくださっているものだと感じる。
そこに身を置くことが、神の国に近づく一つの方法と思う。
 
⑥ 私たちの価値観が神中心に変わることで、実生活での不安からも解放されるだろう。それは具体的に、老後の生活の不安、死の不安、病気や痛み苦しみの不安といっ
た、私たち皆が持つ現実的な問題、不安や心の囚われからの解放をも含むのだろうと気付いた。ぼやぼやしている場合ではない。
 
⑦ 使徒信条にある "聖徒の交わり" で、すでに帰天した家族や友と地上の私たちと、
主キリストによってつながっていることを実感する。共に祈り合うことができるのは心強い。
 
⑧ 毎日悪いニュースばかりで、混とんとした社会だが、その中で具体的な神のみ手、愛のみ業や恵みを垣間見るとき、神の国は始まったと直感でわかる。まだ完成していないが確実に始まっている。私たちはその、"まだ" と "もう" の間の緊張した状態にある。
 
最後に、"主のみくにが来ますように…" の歌詞を持つ、日本語で人気の聖歌
"マラナタ" を歌い感謝のうちにお開きになりました。
 
今後の "祈りと分かち合い" のスケジュール等、につきましては、
当ブログ内 "連絡先" に記載されている連絡先に、お気軽にメールでお問い合わせ
ください。
 
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イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」(マルコ5:34)
 
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