クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

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2017/2/19 祈りと分かち合い

 
2017年2月の第2回目 KLカトリック日本人コミュニティ "祈りと分かち合い" は、
2月19日(日) にKL St.John's Cathedral バリッシュホール内教室で行いました。
 
この "分かち合い" は、イエス・キリストとの出会い、彼の弟子となり彼の友となる
ことをテーマとし、イエスとの人格的な出会い、特にこの方が私にとって何者なのか
私の人生とどういう関係があるのかをそれぞれが探していく旅を続けています。
 
初めに "主の祈り" で、今日も皆が元気にここに集められたことを感謝しつつ
全員で一緒にお祈りしました。
 
今回の分かち合いは、"イエスは神の国(神の世界)をあらわす" その2として、
その "神の国" の背景はどのようなものだったかを知るために、
イエス登場までのイスラエルの歴史・救いの歴史を、創世記・出エジプト記・
エレミヤ書・イザヤ書などの旧約聖書の各箇所や、参考資料を見ながら
皆で学びました。
 
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以下は、その分かち合いの一部です。
① イエス登場までの長い旧約の歴史に触れる機会はこれまで少なかったが、
長い歴史の背景の中での人類の救いの歴史を見てみることで、イエスの十字架と
復活の意味も深まる。
 
② アブラハムまでは同じ起源を持つ3つの宗教がいがみ合うのは悲しい。私たちが
今住んでいるマレーシアは、多宗教多民族がそれなりに平和に共生している。
 
③ 旧約聖書の中の、神殿の幕屋のサイズの記述を以前読んだ時、それを現代の
メートルに直してみたことを思い出した。それはイメージよりも巨大なもので、
はるか昔のその時代に、優れた技術を持っていたことに感心した。
 
④ 旧約聖書にも、愛、とりわけ隣人愛の記述があるのは新鮮な発見だ。
 
⑤ 旧い契約の日本語訳となっている "十戒"、"何々してはならない"の表現は、
そのまま読むと日本語的に"10のいましめ"と、 とても厳しく聞こえる。
しかし本来の意味は、"モーセの十のことば"、"何々するはずがない、なぜなら
愛しているのだから" との真意と知り、新しい契約や福音と矛盾しない、
つながっていくのだと感じた。
 
 
神さまは人類の歴史の中で、人間の成長に応じて段階的にご自身を示されました。
私たち自身のそれぞれの人生を振り返り、自分の生れてから今日までの歴史を
"救い" という観点から眺め、その救いの歴史の中で、キリストとのかかわりは
どうなっているのか、将来はどうなっていくのかを、それぞれが黙想することと
しました。
 
最後に、日本語の聖歌 "ガリラヤの風かおる丘で" を歌い、感謝のうちにお開きに
なりました。
 
今後の "祈りと分かち合い" のスケジュール等、につきましては、当ブログ内にある
"連絡先" に記載されている連絡先に、お気軽にメールでお問い合わせください。
 
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見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。(中略) すなわち、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。(中略) 私は彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。(エレミヤ31:31-34)