クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

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2017/5/14 祈りと分かち合い

 
2017年5月、2回目の KLカトリック日本人コミュニティ "祈りと分かち合い" は、
5月14日(日) にKL St.John's Cathedral パリッシュホール内の教室で行いました。
 
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この "分かち合い" は、イエス・キリストとの出会い、彼の弟子となり彼の友となる
ことをテーマとし、イエスとの人格的な出会い、特にこの方が私にとって何者なのか
私の人生とどういう関係があるのかをそれぞれが探していく旅を続けています。
 
最初に、帰天された方々と家族のために、そして近々赤ちゃんが生まれる予定の方の
ため皆で心を一つに合わせてお祈りをしました。
5月はカトリック教会では伝統的にマリアさまの月として、特別にお取次ぎを願い祈ります。私たちも "アヴェ・マリアの祈り" で心を合わせ一緒に取り次ぎを祈りました。
 
この日は、これまで分かち合いをしてきた "復活" について、そして "祈り" について
日頃感じている疑問や感想、恵みの気付きなどを自由形式で発表し、それぞれを
分かち合いました。
 
以下は、その分かち合いの一部です。
① カトリック教会が2000年以上続いてきたことについて、これが祈りの力なのかはわからないが、時代時代で様々な奉仕活動に人々が駆り立てられてきた歴史を見ると、ここまで続いてきたのは神のみ旨以外ないと思う。
 
② 大きな復活体験というのは意識にないが、奇跡のような体験はある。そこには祈りがあった。自分の祈りでなく、誰かかが祈ってくれたものだ。自分の努力ではなかった。
 
③ 復活体験とは、喜びと共にある自分に変わることなのだろう。悲しいこと、苦しいことがあってもそれを受け止められる、イエスの十字架の犠牲を思い起こせる、そして歩みを続けられることだと思う。キリスト者とはイエスに倣って生きることだ。
 
④ 小さいころ、母が一生懸命に祈る姿を見て育った。風もなく話すわけでもないのにろうそくの炎が大きく揺れる時、神の現存を感じ、神のお喜びだと母が言っていたのを思い出した。
 
⑤ 若い時から努力ですべて解決しようとしてきた自分は、正直なところ "祈り" ということに抵抗があった。でも少しずつではあるが "祈り" ということの意味が理解できるようになってきた。努力は素晴らしいことだが一方で限界があり、神のみ旨を求めたい。
 
⑥ すべてご存知の全能の神様だが、自分のすべてをさらけ出し、深く祈ることで主と会話をするのは至福の時だ。御父に祈る時、イエスさまに祈る時、そして聖霊に祈る時もある。
 
⑦ 祈った願いが自分の思うとおりにならなかったのは、それが神のみ旨ではなかったからだろう。自分の都合と神のみ旨とはギャップがあるかもしれないが、それを識別する力が与えられるように祈りたい。祈れるように祈りたい。
 
最後に、5月のマリアさまの月にふさわしい聖歌、"うるわしきみはは" を皆で一緒に
歌ってこの日はお開きになりました。この歌はマレーシアの教会でもよく英語版が
歌われます。
 
次回の "祈りと分かち合い" のスケジュール等、につきましては、
当ブログ内 "連絡先" に記載されている連絡先に、お気軽にメールで
お問い合わせください。
 
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また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。(マタイ18:19)