クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

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2017/6/4 祈りと分かち合い

 
"Pentecost" 聖霊降臨の大祝日は、教会の誕生日、そしてKLカトリック日本人コミュニティの発足2周年の記念となる日です。
 
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2017年6月第1回目の "祈りと分かち合い" は、6月4日(日) に
KL St.John's Cathedral パリッシュホール内の教室で行われました。
 
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この "分かち合い" は、イエス・キリストとの出会い、彼の弟子となり彼の友となる
ことをテーマとし、イエスとの人格的な出会い、特にこの方が私にとって何者なのか
私の人生とどういう関係があるのかをそれぞれが探していく旅を続けています。
 
 
初めの祈りとして、"主の祈り"で皆で心を合わせお祈りしました。
特に愛する大切な親族が帰天されたばかりの方が何名かいらしたので、
その方々と家族のため、お子さんが産まれたばかりメンバーの1人のため、
最近分かち合いに参加され始めた方が、神さまの計り知れない大きな愛を知る体験を
することができるように、また私たちコミュニティ発足2周年を感謝して、皆で心を
合わせてお祈りしました。
 
この日は、今まで分かち合ってきたことのまとめに入り、"あなたにとってイエスは誰ですか? あなたはイエスを誰だと宣言するのか?" をテーマとしました。
 
まず弟子たちがイエスをどうとらえ、信仰宣言していったかを福音書の関連個所から
み言葉を朗読しました。ペトロの信仰宣言の箇所を数箇所、そして十字架のイエスを
見た百人隊長の信仰宣言などを朗読しました。
 
そして "あなたはイエスを誰だと宣言しますか?" を題に、自分の言葉で自由形式に
恵みの分かち合いが行われました。
 
以下は、その分かち合いの一部です。
① イエスは私にとって人生でありすべてだ。イエスが私の命と魂をつかさどっているので私は安心して自分を委ね生きていくことができている。
 
② イエスは私に善き道を示してくださる方だ。今までもこれからも私自身の人生はイエスの計画に組み込まれたものだ。
 
③ 最近親族の死を経験したが、それは神のみ業でありご計画の1つだったのだろう。キリスト者ではなかったが、故人との再会を信じ、むしろそれを楽しみにしている。
 
④ マレーシアでは色々な国の方がいて、お祈りのポーズの仕方もそれぞれだ。例えばミサ中の主の祈りでも、手を広げる方、合掌する方、手をつなぐ方、ひざまずく方、お辞儀をする方とポーズは様々だ。それぞれが自由にそれぞれの形でイエスと向き合い応えている。そのように表面的ではなく深いところでイエスと交わる姿は、イエスは誰なのか、それぞれの表現で応えているように見える。
 
⑤ イエスは私の主であり、救い主だ。言い尽くされてきた言葉だが、それ以外言いようがない。イエスに出会う前は、生きているのに死んでいた私は、イエスとの出会いにより尊厳を取り戻し、神の莫大な愛を知り、永遠の命を得ていることを知り、文字通り生きる者となった。命の恩人という言葉が日本語にはあるがイエスは私の魂の恩人だ。
 
最後に、帰天された故人をしのび、"いつくしみふかき" を皆で歌い終わりの祈りと
しました。
 
次回の "祈りと分かち合い" のスケジュール等、につきましては、
当ブログ内 "連絡先" に記載されている連絡先に、お気軽にメールで
お問い合わせください。
 
 
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聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。(1コリント12:3b)