クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

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2017/9/10 祈りと分かち合い

(9/14 加筆と修正しました)
 
2017年9月の第2回目 "祈りと分かち合い" を9月10日(日)にKL St.John's Cathedral
パリッシュホール内の教室で行いました。
 
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この "祈りと分かち合い" の集いは、海外生活の中で日本人カトリックの信仰生活を
支えるために、また教会共同体として共に祈り合い、励まし合うことで、それぞれが
イエスとの関係を深めることにつながり、自分にとってイエスとはいったい誰なのか? を探してゆく、よき旅となっています。
 
また、この "KLカトリック日本人コミュニティ" の存在を考えてみると "教会共同体とは何か?" を見つめ直す、よい機会となります。
 
教会共同体を通して個々が信仰生活を深めていくことは、しいては人格の成熟とも
つながってゆきます。そして自分を含む共同体全体が、福音化されていくことを目指していることに気づきます。
 
ですからこの私たちの "教会共同体" の特性は、強制参加的要素の強い町内会やPTA的なものでも、任意の同好会や仲良しグループ等の一般的なグループ活動でも、また便利なカスタマーサービスセンターでもなく、むしろこれらとは決定的に違うことに気づかされてゆきます。
 
ですので、"マレーシア在住の全日本人カトリック" は "当コミュニティ" との個々の
かかわり度合いや参加形態、そして教会やコミュニティとの距離感も含めて、すべて
にわたって個々の決定が尊重・優先されているわけです。
ひとりひとり違った個性と、ユニークな "かかわり方" がそれぞれあり、自主的かつ
自発的、自由な関係となっています。
またその気づきがあり、それを皆でさらに分かち合えることは、神様が私たちに
与えてくださった大きなお恵みであり、神に感謝です。
 
分かち合いをする前に、9月17日にSt. John's Cathedralで行われる、
International Day Celebration での、KLカトリック日本人コミュニティの役割に
ついてのミーティングも行いました。
ミサ中の、教会側から割り当てられたお役の打ち合わせや、午後からのイベントの打ち合わせ等です。文化紹介・日本の手工芸品やお土産品の販売・ミニ寿司の配布方法・寄付金や売れ上げの受け取りの段取りについても準備が詰めに入っています。
 
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しばらく沈黙の時間を取り、そして主の祈りで皆で心を一つにして祈り、分かち合いを始めました。
この日は、イエスは神の国を表すシリーズ最終回として、この世に実際に介入される神 をテーマに、マルコ6章30-44 の"五千人に食べ物を与える" のみ言葉を味わい、また、詩編とエゼキエル書の関連個所も朗読し、その後自由に疑問や気付いたことなどを分かち合いました。
 
以下は、自由に分かち合った内容の一部です。
 
① この箇所や、湖の上を歩くなど、聖書の奇跡物語を子供のころ読んだ時にはまったく信じられず、嘘だと思っていた。何が言いたいのかここから神様のメッセージをくみ取ることが大切だと思う。1人で聖書を読んでも、よくわからなかったり腑に落ちないこともあり、皆でこうして聖書を読んだり分かち合ったりすることは、私にとって良いことだと思う。ここではパンが増えたということよりも、イエスのそばでみ言葉を聞いて、満たされた、すべての人が満腹したのだと思う。
② イエスは本当にパンを増やしたのだろうと思う。神にできないことは何もないし、増やしたとも増やしていないとも書いていない。子供のころに、なぜかこの箇所だけ読む機会が与えられたことを今もよく覚えている。ここは、神が介入された瞬間なのだろうと思う。
③ ここでのパンは、象徴のように感じる。12の籠いっぱいになった12という数字もイスラエルの12部族を思い起こすし、パンを割いてのくだりもミサを思い起こす。ここの大勢の人とは地上のすべての人のようだ。ここに私も私たちも含まれ、主のみ言葉で生かされ力づけられる。イエスが共にいてくださることを実感する。
④ すべての人が食べて満腹した。の箇所は、出エジプト記でモーセが祈ってマナが与えられたところを思い起こした。この箇所でも、すべての人が満腹したということは、人々が信仰つまり救いを取り戻したのだろう。自分も生活の中で、救われていることに気づくと、教会に行こうと思う。死ぬかもしれない体験をした自分は、今まさに神に生かされているとしか言いようがない。
⑤ 人との出会いは奇跡だ。分かち合いを日本語でここでできること、ここに集められたこと自体が奇跡だ。
⑥ ミサでいただくご聖体は私の信仰生活の中心だ。ここでいただくご聖体で、私は満腹する。それは私の魂の救いだからだ。量にしたら薄いウエハースで、食事にならない量だが私は満腹する。
 
また9.11を目前に、苦しみはなぜこの世にあるのか、悲しみは?神様は何をしているのか?などの悲しみも共に分かち合いました。16年前に理不尽な亡くなり方をした数名の友人のために、今ここにいらっしゃるイエスさまに、いやしの恵みをお祈りして、聖歌 "愛といつくしみのあるところ" を皆で歌い、友人に捧げました。
 
分かち合いの今後の予定は未定です。
 
引き続き、インターナショナルデーミサへのゲスト参加はもちろんのこと、販売用の日本の製品やお土産品・配布用の観光パンフレットの献品の募集もしています。
世話人か、担当者に早めにご連絡ください。
 
 
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まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。(エゼキエル34:11-12)