クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

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2018/2 祈りと分かち合い (信者向け)

 
すっかりイエスさまと親しくなり、本帰国を果たした入門の方ですが、先日無事に横浜教区内の最寄りの小教区のミサに与ることで、共同体に迎えられることとなりました。
それに先立ち、教会役員のSさん、そして神父様とも電話でお話をすることができました。
本来ならば、私たちのうち誰かが最初は一緒に同行すればよかったのですが、遠い日本の教会ということで、電話のみの連絡となり、ご本人には自力で行っていただくこととなりました。
 
あとは神父様、共同体の方々、そして何より聖霊の大きな働きによって、一番良い時期に一番良い方法で進んでゆくと信じています。
クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ、共同体としても安心して祈り続けています。
教区共同体の皆さま、神父様、どうぞよろしくお願いいたします。
 
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教室近く、St. John's Cathedral のマリア様の近くに咲く美しいブーゲンビリアの花
 
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さて、入門の方がひと段落したことで、私たち信徒も、St. John's Cathedral パリッシュハウス内教室で分かち合いを再開することになりました。
 
今年の、東南アジア日本人カトリックの合同黙想会の準備も兼ねて、晴佐久昌英神父様の主日の説教集「福音の村」サイトを使い、司会を輪番制にして再スタートすることになりました。
 
この日は第1回目にふさわしく、司会者が選んだ2018年1月1日神の母聖マリアの祝日の説教から、「弱くて、傷つく人間」です。
 
まず、主の祈りで初めの祈りとしました。
そしてこの日の主日の、第一朗読・第二朗読・福音朗読を順番に読んでいきます。
その後、司会者が「福音の村」の説教を読み、神父様が特に強調しておられたことをまとめ、私たちに照らし合わせて、それぞれの気づきやいただいた恵みなどを自由に分かち合いしました。
 
人間は歳と共にだんだん弱くなってくる。人にやさしいまた弱者にやさしい社会になってゆくことは目に見える神の国の始まりだ。
イエスノーをはっきり言わずリスクを取らない、また違いも出さないという生きにくい社会になりがちだが、一緒・仲間・人間的というキーワードは神の国という視点で見ると確かに大事なことだと気づく。
人に優越はなく、イエスの前に皆同じということにはハッとする。
マリア様のように、心に納める・思い巡らすという態度は改めて私たちは見習いたい。
神の子供としての相続。私たちは相続というと物質的なことをつい思うが、愛と喜びが一番の相続だ。それがないと生きていけない。
震災の時そうだったように、日本人は何かあると本当に助け合う。その姿は素晴らしい。こういう仲間意識というのは宝物だ。
など、自由な分かち合いがありました。
 
終わりに司会者が選んだ聖歌 "マラナタ" を歌ってお開きになりました。
次回の日程と内容や司会者については、コミュニティSNSでお知らせいたします。
 
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ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。(ガラテア4:7)