クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

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Soup Kitchen (スープキッチン) でのボランティア(前編)

セントジョン・カトリック教会での
 
「Soup Kitchen(スープキッチン)」1
 
ボランティアお手伝いについて。前篇(全3回)
 
 
セントジョンカトリック教会の同じ敷地内にある「ホームレス」
の為のスープキッチンの施設で、調理関係、サービス関係の
ボランティア活動をさせていただいて、早、6年になりました。
 
隔週で1回、1か月計2回のお手伝いとなってます。
小さな”人力”ですが、少しでもお役に立てればと思い
マレーシアで頑張っています。
広く誰でも自分の時間と労力を捧げるという意味では、国を知る、
民族を知る、人間を知る、そして神を知る事にもつながります。

ボランティアさせていただいている事に神に感謝です。
 
私の所属の教会のメンバーによるこの施設へのボランティアは、
曜日が決まっていますが、他の曜日もKL市内の他のカトリック教会の
有志メンバーが担当しているようです。
 
大変嬉しいことに、このたび、KL日本人カトリックコミュニティの
メンバーも数人加わり、私の所属教会メンバーたちとジョイントしました。
素晴らしいことです。強制や義務じゃありません。
用事あればパスですし自分の都合にあった形でのお手伝い。
 
ただし、私達夫婦はそうはいきません。好む好まざるにかかわらず
自然にレギュラーになってしまったので、なかなか断れません。
 
神様がそうなさっているのかな?
 
今回はちょっと長くなるので3回分で投稿。おもに概念について。
 
ブキナナスのセントジョン・カテドラル教会の敷地は広く、
大聖堂を始め、大司教館、司祭館、学校、修道院、養護施設、
各国別のフェローシップ室、小さな会議室や集会所、
当然これらを管理する事務所などがあり・・
その中でも今日のテーマ「Soup Kitchen」
(スープキッチン(施設))があります。
 
先輩のお話によると、確かじゃないけど、15年以上?の歴史が
あるのでは。
以前は毎週毎週ボランティアに行っていたそうです
 
「Soup Kitchen」は英語であり、日本語では「炊き出し」という
言う方をよく聞きます。
一般的には被災者や難民=避難者、ホームレス、失業者、孤児など
食べるに困っている人達に、食料や食事無料で出してあげる
=提供する事を意味します。
そしてそれらを総合して「スープキッチン」とも言っているようです
 
調べてなるほどと思うのは、別名「breadline(ブレッドライン)」とか、「soupline(スープライン)」とか言うそうですね。
 
マレーシアに来た最初の頃・・YMCAの施設でのボランティアで、
たまたまそこで、プロテスタントの人達と経験した時は
「フィーディング」と一部の人が言ってたのを思い出しました。
 
「feeding  ground」というと、辞書を引くと「餌場」になり
feedingは、食べさせること、給餌になるので、上目線ですし、
かなり嫌いな言葉でした。
 
日本とこちらでは、環境と国のスタンスが違うので、一概に定義
出来ませんが、日本では、炊き出しは、狭い意味で使われることが
多く、震災や水害などでの避難者に提供することで有名、主に野外
での提供、一時的な感覚ですよね。お菓子やパン生活用品の供与も
セットで言うのか、分かりませんが、自衛隊の「炊き出し」も
知られてます。
Whikipediaによると、地方の選挙中に支持者や事務所振舞われる食事提供も「炊き出し」と言う場合があるそうです。
(ただし公職選挙法で通常は選挙中は禁止)
 
世界では「救貧院」とか「無料食堂」とか言われたり、歴史が深く
戦争難民の救援、貧困層救済対策の一環でもあったようです。
 
映画でもよく出てきますが、アメリカでは、貧困街、スラム街、
路上生活場、慈善事業団体前あたりで寒い中、フードを被り
行列しているシーンがありますよね。実際あるらしいですが、
若い女性が並んでいると、声をかけられ、しつこいナンパは
当たり前だとか。今現在のお話。
 
”難破船生活” のはず。ナンパなんてやる余裕があるんだったら
「仕事を探せ、考えて下さい」と言いたいのが、本音ですが。
 
大体、路上での提供が多いです。クアラルンプールでは数年前に
ブキビンタン街辺りで出しているスープキッチンに対して、
禁止措置が取られました。
後で書きますが、当ボランティアの施設も首都圏*km圏内に入って
いるため、もしかしたら、閉鎖?という話も流れましたが、
施設での管理や衛生面、その趣旨目的、実際の供与体制がしっかり
してましたから、全く問題ないとの事でした。
 
つまり、ただ、食事を作って出せばいいというモノでもありません
 
(コミュニティ施設にて、失業者に食事を提供。1932年、チリにて。Whikipediaより
 
 
(アルカポネが行ったというアメリカ1931年シカゴでのスープキッチン。Whikipediaより
 
 
(震災での日本の「炊き出し」風景。Whikipediaより
 
 
 
次回に書きますが、実際、私達が行っているスープキッチンの様子
 
 
 
イメージ 1
 
 
 








安い、弱い、調理器具なので、もろいです。
それでも何とかやっちゃいます。
 
 
 
フルーツがあったり無かったり、スイカだったりリンゴだったり。

イメージ 2
 
 
 
 
 






 
 
 
 イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、セントジョンカトリック教会のスープキッチンの動画が
出てきました。
下記の情報提供、コミュニティのFさん有難うございました。
次回は、実際の様子など、もっと詳しくいきます。
 
 
 
この教会の片隅での、表面はあまり目立たないスープキッチン。
 
私達日本人と、マレーシア人達と、ホームレスの人達との触れ合い
があり、KL日本人カトリックコミュニティの理念の、ある意味
異国の地での「分かち合い」にも通じます。
 
 
その恵まれない人達との分かち合いで、神である主へとの対話を
感じ、励みにもなっていると思う。
人は、体の欲しがるパンのみで生きるのじゃないけれど、
今はパンが欲しい人達に、とりあえず、
生きる術の現実のパン(糧)をあげなくては、
 
が付いてくるのは、その後でもいいと、思ったりします。
 
次回、実際のお話。中編・後編に続く。