クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

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2017/3/5 祈りと分かち合い

 
四旬節に入った2017年3月、1回目の KLカトリック日本人コミュニティによる
"祈りと分かち合い" は、3月5日(日) にKL St.John's Cathedral パリッシュホール内
の教室で行いました。
 
この "分かち合い" は、イエス・キリストとの出会い、彼の弟子となり彼の友となる
ことをテーマとし、イエスを知るために聖書のみ言葉を味わうことで、イエスとの
人格的な出会い、特にこの方が私にとって何者なのか、私の人生とどういう関係が
あるのかを、それぞれが探していく旅を一緒に続けています。
 
まず "アヴェ・マリアの祈り" で、今日もキリストの招きによって、ここに元気に
集められたことを感謝しつつ、初めのお祈りしました。
 
そしてこの日は、"イエスの受難とその死・復活、シリーズその3" として、
"陰府に下るイエス・昇天・聖霊降臨" をテーマに、資料を見たり、関連個所の聖書の
朗読、気づいたことの分かち合いがおこなわれました。
 
使徒信条の中の、"…陰府に下り…" と、"…天に昇って…" の箇所は、
毎回ミサ中で宣言しますが、今一つ意味が分かりにくいこともあり、
"カトリック教会のカテキズム要約" の本をひもときながら、ひとつひとつ、
言葉を確認していきました。
同時に私たちが与る、英語のミサでの言葉とも照らし合わせてみました。
 
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以下は、その分かち合いの一部です。
① ミサ中に毎回唱えている、使徒信条の一言一句がこんなにも深い意味があるとは
今まであまりよく知らなかったが、意味が深いと気付いた。
 
② 陰府…とは、理解しづらいが子供の頃に教会で習った"煉獄"に似ていると感じた。
この世の命を終えた時、自分も神によって浄められるのだろう。
 
③ 十字架と復活だけでなく、使徒信条にあるこの、"陰府に下るイエス・昇天" の
意味を知ると、なんとダイナミックな救いのみ業なのかと思う。
この忙しくミッションするイエスを知ると、"カトリック" の意味である "普遍" と
いう意味に触れることができる。宇宙を、時空を超えた救いのみ業とは、キリストの
現存を今、身近に感じられることなのかと思う。
 
④ 私にとってイエスの現存を強く感じるのは、毎日の祈りの時だ。朝起きた時に
"朝の祈り" を、就寝前に"夕べの祈り" を唱えるが、その時にイエスさまが共に
いてくださることを強く感じる。これは大きな恵みだと思う。
 
⑤ 共同体の仲間とこうしてざっくばらんに"死" について、また"天国" について、
イエスの現存や救いについて分かち合っていると、"死" に対する恐怖は和らいでくる。
 
⑥ 聖霊の働きは、心を開いていないとわかりにくい。私たちがこうして集うのも、
マレーシアにこうして住んでいるのも、聖霊の働きかもしれないと思った。
 
⑦ 自分が生まれてきたこと、今生きていることも神のみ業なしでは説明がつかない。寿命すら自分の努力で伸ばすことは難しいが、老後の心配をし過ぎず、
自らを、そして私の老後もすべて神に委ね、信頼してこれからも生きていきたい。
 
 
復活したイエスさまは "ガリラヤで待っておられ" ます。私たちにとって、その
"ガリラヤ" とはどこなのか。それは私たちが日々生活する、まさにこの場所であり、
共にいてくださるイエスさまを身近に感じるように、四旬節の期間に、それぞれが
祈り黙想することにしました。
 
最後に、日本語の聖歌 "ガリラヤの風かおる丘で" を歌い、感謝のうちにお開きに
なりました。
 
今後の "祈りと分かち合い" のスケジュール等、につきましては、当ブログ内にある
"連絡先" に記載されている連絡先に、お気軽にメールでお問い合わせください。
 
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それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。(使徒行録2:33)