2017/7/30 祈りと分かち合い (求道者その3)
2017年7月の第2回目 "祈りと分かち合い" は7月30日(日)にKL St.John's Cathedral
パリッシュホール内の教室で行われました。
海外生活においては、母国語の日本語で一緒にお祈りしたり、また聖書のみ言葉を
一緒に味わいそれを分かち合ったり、霊的な励ましあいをしたりする機会を持つのは
簡単なことではありません。どこの教会でも英語のミサに与ることはできますが、
どこも巨大な教会で大人数でのミサであること、英語のミサにはすぐに慣れますが
やはり私たちの母国語である日本語での祈りや、み言葉の味わいとは深さが全然
違うことに気づかされます。
この日の分かち合いでは、9月に行われるInternational Day のミサとその後の
イベントの役割など、打ち合わせも併せて行いました。
まず、ラインホルト・ニーバーの "道を求める者の祈り" で皆で心を一つに合わせ
初めの祈りをしました。最近新しく参加された入門の方に合わせ、この日は3巡目
第2回目として "イエスが父なる神の愛の深さ、広さを示す" をテーマに、ルカ福音書
から "見失った羊" の箇所のみ言葉を味わいました。そしてまずその中の言葉、
日常の日本語ではなじみのない用語を、新共同訳聖書の巻末用語解説集でひも解き
ながら言葉の意味を確認し、その後それぞれが今日は登場人物の誰を一番身近に
感じるかなど、自由に気づきや恵みを分かち合いました。
以下は、自由に分かち合った内容の一部です。
① 7節"悔い改める一人の罪びと" の"悔い改める"の意味をこの箇所を読むたび、思い起こす。一般日本語ので使う"悔い改め"と"回心"と意味が違うということと、これを意識していないと、つい神様を忘れてしまう日々になっていく傾向にあるように感じる。洗礼前も後も何度もこの箇所は読んだが、自分はしょっちゅう迷うので、いつもこの1匹だ。
② 今日、最初は99人を身近に感じ、自分はこの99人の1人だと感じた。たが7節の "悔い改める必要のない99人の正しい人"の箇所をよくよく読むと、果たして私が悔い改める必要のない正しい人なのか?と思う。そう考えるとやはり私も1匹なのだろうと気づいた。順序としては、探してもらい見つけてもらった安心感があってそして悔い改めることができるのだろう。いつ読んでも私はこの1匹になっていたい。聖書で一番最初に読むこの箇所だが、大変深い。
③ 自分はこの分かち合いに参加して間もない未信者だが、自分自身はこの1匹に違いないと思う。キリストを知りたいと思い来たが、迷っている人がキリストを知る(見つけてもらう)のだろう。
④ この箇所を読んだのは2回目だが、前回も今回も自分はこの1匹と思う。
⑤ この箇所は感想が変わる。今までは99匹だったり一緒に喜ぶ近所の人だったりしたが、実は私もいつも探してもらう1匹だということに改めて気づかされた。祈るときは、まずこの神様の愛の中に身を置いてから祈りを始めたい。
最後に皆で、"ガリラヤの風かおる丘で" を歌いお開きになりました。
次回の "祈りと分かち合い" は、8月6日を予定しています。
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わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる。(ヨハネ10:11)