2017/8/6 祈りと分かち合い
2017年8月の第1回目 "祈りと分かち合い" は8月6日(日)にKL St.John's Cathedral
パリッシュホール内の教室で行われました。
この "分かち合い" は、イエス・キリストとの出会い、彼の弟子となり彼の友となる
ことをテーマとし、イエスとの人格的な出会い、特にこの方が私にとって何者なのか
私の人生とどういう関係があるのかをそれぞれが探していく旅を続けています。
8月15日の聖母被昇天の祝日も近いことから初めの祈りとして"アヴェ・マリアの祈り" で皆で心を合わせ、マリア様にお取次ぎをお祈りしました。
この日の分かち合いでは、9月にSt. John's Cathedralで行われる、
International Day ミサの入祭の行進で奉納する品を皆で製作する打ち合わせも
併せて行いました。
この日は、6月5日に"あなたはイエスを誰だと宣言しますか?" の続きとして、
"イエスの弟子になる" 私たちはイエスの弟子になりたいのか? 弟子になるとは、
どういうことか。信仰とは何か?などを分かち合いました。
聖書からは弟子に関する箇所のみ言葉を順番に朗読していきました。
12使徒の選定、弟子になるということ、弟子に望まれること、弟子の条件、選び、
そして、今私にとってイエスの弟子となるには?の箇所です。
以下は、自由に分かち合った内容の一部です。
① 私にとってイエスは、なぐさめであり同時によき道しるべの方だ。私は自分が弟子というより、イエスさまの大切な子供、愛されているという感覚の方が大きい。
② 思い返すとイエスを知らなかった頃、日本にいた時は自分が作った枠の中だけで動いていたような気がする。マレーシアに来てイエスを知り、180度変わったわけだが、考え方が自由になったと思う。
③ これまでの色々な自分の歴史は、すべてイエスのご計画によるものだったと振り返って思う。それを知ることが信仰の喜びなのだろう。自分がいま生きていることも神様のご計画の一部なのだろう。そう考えると、信仰に基づいた選びをするという、優先順位がわかってくるが、やはり弱い人間なのでその優先順位の実行には悩んでしまう時もある。朝起きた時に朝の祈りを毎日にするが、それが自分にとって、とても霊的な力になっている
④ ミサの最後に司祭が派遣する、"行きなさい!主の平和のうちに" の箇所がミサの中では一番好きな箇所だ。ミサではイエスとの交わりに喜びを感じるが、1週間のうち、残りの大多数の時間を私たちは一般の社会で過ごす。私にとって"イエスの弟子になる"とは、ミサでいただいた力で1週間を一般社会で過ごす、その生き方だ。
⑤ 信仰とは選びと行動で、"イエスさまが一番" という優先順位で日々選び行動することなのだろう。自分は弟子として選ばれているように感じるが、こんな私が選ばれることは神の神秘でしかないと思う。それに従いたい。
終わりに、聖歌 "マリアさまのこころ" を皆で歌って、それぞれの意向の祈りとし、
この日はお開きになりました。
次回の "祈りと分かち合い" は、8月20日を予定しています。
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シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかしお言葉ですから、網をおろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。(ルカ5:5-6)