クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

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2017/11 祈りと分かち合い (求道者その9)

 
2017年11月の、KLカトリック日本人コミュニティ主催の日本語による
"祈りと分かち合い" の第2回目を、求道者と入門の方を中心として行いました。
 
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私たちカトリック日本人共同体が所属している小教区、Kuala Lumpur St. John's Cathedral のお庭にあるマンゴーの木に実がなっていました。
 
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異国で神様と出会う日本人は少なくありません。
故郷から遠く離れたこの地は、神と出会う場 "荒れ野" だからかもしれません。
新しい環境では、新しい方法で聖霊がひとりひとりに働きかけています。
 
この地に住む既存の日本人カトリック信徒は、こうした方々に対して、それぞれが各々の個性を生かしたユニークな方法で、灯(ともしび)となるよう導かれています。
 
ですから、私たち信徒は、異国のこの地に神様から派遣された者として、喜びをもって、特に神さまを求めている方々に対しては、日本語で福音を伝えてゆけたらと思っています。
 
まずは初めに、入門の方には十字の切り方をもう一度おさらいし、父と子と聖霊のみ名によってお祈りをしました。そりからニーバーの道を求める者の祈りで、私たちが神の愛に気づき聖霊の呼びかけに答えられるように、皆で心を一つにしてお祈りしました。
 
この日は "イエスは神の国を現す 過去の世に介入される神、力あるわざ" と題し、
マルコ6章30節から44節 "五千人に食べ物を与える" のみ言葉を味わい、分かち合いをしました。
 
この求道者の方は、福音を知りたいという気持ちが大変熱心であることが、いつも伝わってきます。イエスはいったい誰なのだろうという、シンプルで純粋な気持ちが、
み言葉を読む時に、そして分かち合いのあいだ中、真剣な態度・目の輝き・表情からよく伝わってきます。
この求道者の方の本帰国が決まりましたが、この分かち合いを続けたい。ぜひとも十字架と復活、聖霊降臨と教会の誕生まで知りたいという、強い要望がありましたので、帰国までの短い時間と忙しい日々ではありますが、日程をやりくりして、分かち合いを続けています。
 
供食奇跡とも呼ばれるこの箇所ですが、聖書の中に書かれている "奇跡" について、まずどう感じるかを分かち合いました。現代の科学の時代ではなかなか理解が難しい箇所です。にわかには信じがたいという感想が出た一方、この物語の背景について、どうしてこういう話を書いたのか、またここでは何が言いたいのか知りたい、という課題を持っておられました。
 
関連個所として、あわせて詩編23章とエゼキエル34章11-16も朗読しました。
マルコのこの箇所は、旧約の時代から待ち望んでいた羊の群れを養う神のイメージをもって、イエスがその方だという信仰告白に取れます。旧約で民を養うと約束していた神が我々の内に現実となった、それがイエスだと告白しているようです。
 
現代でも神のみ手・介入があると思う出来事など、自由な分かち合いで出た感想は、
・福音書、神のみ言葉を読むだけでなく、その元となる旧約聖書との関連性が非常に興味深い。こうして読むと聖書の読み方も深みが出る。
・"民を養う王" の箇所は、日本こそ政治家を次々求めるのではなく、救いを実現するメシアを求めるようになったら良いと思う。
・奇跡という言葉の使い方がわかった。私たちの中にも奇跡がある。今ここに集うことも奇跡だ。
・日々奇跡を見つけるのは新しく目が開かれていった証だ。
・こういうことを知ったからには自分の生活、人生が変わってくる。変わらざるを得ない。
・神のみ手の介入、奇跡に気づくことは、神が私たちと共にいてくださると気づくことだ。喜びと愛の気持ちに満たされる。
 
終わりに、"ガリラヤの風かおる丘で" を歌い、喜びと感謝のうちにお開きになりました。
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イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを割いて弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。(マルコ6:41-42)