クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

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2017/11 祈りと分かち合い (求道者その12)

 
本帰国のスケジュールも決定し、同時に "イエスさまと目が合う" という大きな恵みの体験をした、求道者の方と、限られた時間を大切にするため、この方のニーズに合わせ、今月は分かち合いの頻度を特別にあげて進めています。
 
この求道者の方とは今年、共通の友人を通して出会いました。この共通の友人は、
キリスト者ではありませんが、内面を深く観想される方で、そういった直感からか、
私たちを会わせる機会を設けてくれました。
 
ですが、性別も世代も職業も出身地も趣味も家族構成も学生時代の専攻も、私とは
何一つ共通点はなかったので、初対面の場では共通の話題は特にありませんでした。
 
ただ一つだけ、神さまがどういう方か知りたい、聖書を読んでみたい、との話が出ましたので、分かち合いにお誘いしました。
その後、今年4月23日から "分かち合い" に参加し始め、12回目の参加の今日に至っています。
 
イエスさまのお計らいで不思議な出会いがあり、つながりができ、聖霊の働きでこの方に神さまの一番大きな恵みである、"主イエスキリストとの出合い" が今ここに実現しています。
 
この日はまず、皆で十字を切り、イエスさまが教えてくださった "主の祈り" を初めの祈りとし、キリスト名でここに集められたことに感謝しました。
 
今回は、"受難に向かうイエスその2" として、"イエスの弟子ペトロの歩み" を見てゆくことにしました。
 
イエスが "私の羊を飼いなさい" とご自分の群れ(教会)をペトロに信頼して託しますが、ペトロも弱さを持った人間であり、イエスの救いを必要としている一人でした。
イエスに従いますが理解できず、疑い、否定までしましたが、イエスによって回心し救われ成長し、イエスを宣教し、最後は殉教した人です。
人間的な欠点や癖を持っていて、私たちに親しみやすく共通点を持った人です。
 
四福音書の中にはペトロの姿は随所に見られます。ペトロはイエスと共にいました。
何か所かペトロの記述のある箇所を読んでいきました。
 
その後、自由に分かち合いをしました。
ペトロの否みの箇所は、問答形式で書かれているためわかりやすい。この箇所がもしなかったら、自分が知らぬ間にイエスを否んでいることもあり得ることも気づけない。
ペトロを召した理由は私たちにはわからないが、私たちに身近に感じさせ、わからせるため、そして神に立ち帰らせるためかなと思った。
ペトロを見ると自分と重なりわかりやすい。今日はペトロを通してイエスを見るという経験ができてよかった。
日々多忙に暮らしていると、神さまを忘れてしまうこともある。時々神様のみ手が見え、見えなかったものを見せてくれる(見ることができる)ことがある。こういうことを大切にしたい。
初めから立派な弟子ではなかったペトロの言動や性格に勇気づけられる。
ペトロがイエスを否んだ時、イエスがペトロに注いだまなざしを想う。弱い、罪を犯したペトロを赦し愛する暖かなまなざしの中に自分の身を置き、祈るのが好きだ。
 
また神さまとの関係、結婚の意味についても福音的な分かち合いがありました。
終わりに、主への賛美と感謝のうちに、この日の分かち合いはお開きになりました。
 
本帰国後、カトリック教会に通いたいとの意向を表していたこの求道者の方ですが、
最寄りの教会をいくつかピックアップしておいたところ、大変興味を持たれていました。
 
日本人の神父様が常駐していらっしゃる教会をご希望でしたので、予め私からも神父様にご挨拶の連絡をするということになりました。
神父様、小教区の皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。
 
神さまの大きな愛と、聖霊のお働きをこの求道者の方を通じて見せていただいたことは、私にとってもKLカトリック日本人コミュニティ(共同体)にとっても、大きな喜びです。
 
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主は振り向いてペトロを見つめられた (ルカ22:61)