クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

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2017/12 祈りと分かち合い (求道者その15)

 
すっかり打ち解けて、リラックスした雰囲気で続けられている、KLカトリック日本人コミュニティ(共同体)主催の、求道者との "祈りと分かち合い"  は早15回となりました。
 
今回はいよいよ、イエスの受難と死・復活のその2として、"主の復活" のみ言葉の箇所の朗読と分かち合いとなりました。
当初より、イエスの復活ということに特別に興味を持たれていたこの求道者です。
復活は蘇生とは違うのか、との疑問を持たれていましたので、み言葉に触れながらその違いをみていくこととしました。
 
12月の忙しい時期・そして本帰国間近でのあわただしい日々の中、スケジュールを調整し、疲れている時もイエスさまのことを知りたいと、いつもとても楽しみにして熱心に通われている姿を見ると、この方に働いている聖霊の大きな働きには圧倒されるばかりです。
 
まず、アヴェ・マリアの祈りで皆で心を一つに合わせ、イエスが今も生きて私たちと共にいらっしゃること、ここに集められたことに感謝し、そしてこれからも私たちに必要な恵みが与えられるように、マリアさまにお取次ぎのお祈りをしました。
 
復活の四福音書の箇所だでなく、パウロの書簡の中の復活が書かれている箇所も、いくつかまず朗読しました。
弟子たちの変貌という視点でも、み言葉から復活を知る前の弟子たちの様子と、使徒行録に書かれている力強い変貌した弟子の様子、いったいここには何があったのか。自分たちの生き方を根本から変える体験をしたに違いない弟子たちの復活体験、さらに私たちのそれぞれの受容に合わされた復活体験というものも、自由に分かち合いました。
 
イエスを信じるかという問いは、復活を信じるかということにつきます。
共にいてくださるということです。復活とは、私たちキリスト者の信仰の中心です。
 
求道者からは霊について、死んだ後も生きているという直感、親族がなくなった後に体験したこと、そしてイエスは死の中にとどまっている方ではない、イエスは生きておられる、という喜びも分かち合いました。
 
私たちが与るミサは秘跡ですから、地上で神の国とつながる喜びの聖体祭儀です。
ミサにも是非一緒に与りたいとのことで、ご一緒することになっています。
 
求道者の方からは気づかされることも多く、私たちすでにイエスを知り、もう救いのみわざに与っているキリスト者は、キリストの光を証ししていかなくては、と励まされます。主は、私たちと共にいてくださいます。
 
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この方こそ、「あなたがた家を建てる者に捨てられたが。隅の親石となった石」です。ほかのだれによっても、救いは得られません。(使徒行録4:11-12)