クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

KL Japanese Catholic Community official site

2018/4 祈りと分かち合い

 
信徒向けに日本語で開かれている "祈りと分かち合い" が St. John's Cathedral 内の教室で行われました。
St. John's cathedral はKL中心部にある大きな小教区教会ですので、たくさんの国籍の信徒が所属し、それぞれ共同体の一部として活動しています。
この日も、典礼部の方々が朗読の練習を、そして聖歌隊の方々も歌の練習をしていました。ほとんどが若い方で、とても活気ある小教区の活動です。
 
当ブログ書庫別 教会案内KL中心部編 Bukit Nanas, St. John's Cathedral はこちら
 
お御堂袖の Fatima Wing と呼ばれる入り口
イメージ 1
 
信徒向けのこの分かち合いは、まず日本語での祈りの後、ひとつの主日を担当の司会者が選び、当日の "聖書と典礼" を使って朗読箇所を順番に読み、気付いたことやいただいた恵みなどを自由に分かち合う貴重な機会となっています。
 
その後晴佐久昌英神父様の "福音の村" サイトからその日のお説教を読み、さらに深く分かち合いをしていきます。
終わりに、司会者が聖歌を選んで、皆で歌うという段取りになっています。
 
この日は、2月18日 四旬節第1主日 (B年) が選ばれました。
イメージ 2
 
 
お説教集「福音の村」のタイトルは「神の国リンク」
 
この、主日の「聖書と典礼」は、KLカトリック日本人コミュニティを応援してくださっている日本在住のカトリックの方がご好意で毎月、翌月分一括をくださっているものです。このようにたくさんの方々のお祈りとサポートによって、異国マレーシアにおいて日本語でのカトリック共同体が在ることに、大変感謝です。
 
海外で貴重なこの「聖書と典礼」は、KLカトリック日本人コミュニティはもちろん、シンガポールカトリック日本人グループさんにも写真でシェアして、英語や他国語のミサに与る海外在住の多くの信徒の方々に役立っています。
 
海外在住の方で「聖書と典礼」がほしい方は、kljpcatholic@yahoo.co.jp までご連絡ください、写真をお送りできます。
また、オリエンス発行月刊誌「福音宣教」には、晴佐久昌英神父様が「福音家族」という題で2018年1月から1年間、連載を続けていらっしゃいます。
海外在住の方で、あわせてこちらもお読みになりたい方は、ご連絡ください。
 
さて、海外生活において母国語日本語で「皆で一緒に祈り、聖書を読み、分かち合う」という貴重な機会が与えられたことに感謝し、まず呼吸を整えてリラックスした状態で、知恵の書と詩編の朗読で初めの祈りとしました。
また、現地で英語のミサばかりだと、よくわからないことも多く、ミサ典礼について内容をもっとよく知りたいという声も聞かれます。
10月の日本語ミサと、アジア合同黙想会に向けて準備の意味もあり、ミサ典礼についても少しずつ資料を見ながら分かち合いとおさらいをしていく予定です。
 
・ノアの箇所に出てくる契約のしるしとしての虹は、天と地をつなぐ架け橋に見える。どの宗教でも一般的に虹はよい物とされ、日本でも見ると縁起がよいとも言われてきた。無意識に人間の中に良いものとして恵みが組み込まれているからだろう。
・契約は神から一方的にいただいている、というところが心に残る。地上での人間同士の契約は平等で同列だが、神との契約は違う。"義"と似てると思った。
・神様から作られた私たちは、もともと無だったのだから、その恵みを表現して、日々人生を送っていきたい。
・そう考えると、今生きていて存在することそのものが、すごい恵みと思った。
・神が呼びかけていることに触覚をはって気づき答えたい。
・洗礼式の呼名を思い出す。神父様が自分を呼んで「ハイ」と答え、壇上に上がったその「時」をそれぞれ思い出したい。あれは神父でなく、神が私を呼んだのだろう。
・海外生活や人生において、苦しいときもあるが、神との関係、そして福音的家族を意識したい。そこに私の救いがあるように感じる。
 
終わりに「ガリラヤの風かおる丘で」を皆で歌って神を賛美し、この日はお開きになりました。
 
言葉も習慣も慣れない海外生活ですが、日本語を話す司祭や修道者はここマレーシアには1人もいません。そんな中、聖書を1人寂しく読むのではなく、母国語日本語で聖書を一緒に読み、そしていただいた恵みを分かち合い、祈り励ましあえる共同体の存在は大変ありがたいです。神に感謝。
次回の分かち合いの日程は未定です。追ってグループSNSでお知らせいたします。
 
イメージ 3
 
今年もたくさん実がなった、教会敷地内のマンゴーの木
 
神はあわれみ深く正義に満ち、罪びとに道を示される。神は貧しい人を正義を導き、へりくだる人にその道を教えられる。 詩編25:8-9 (B年四旬節第1主日 答唱詩編より)