クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

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2018/5 祈りと分かち合い

 
定期的に信徒たちが自主的に企画している日本語による "祈りと分かち合い" は、
今月も St. John's Cathedral 内の教室で行われました。
 
このところ暑い日が続いていますが、クアラルンプール市内は5月9日に総選挙があり、街中では与党野党の旗やのぼりが至る所で見られます。
 
青い旗と緑の旗
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先日発表された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」についてユネスコは、長崎市の大浦天主堂など12の構成資産をことし世界文化遺産に登録するというニュースの情報交換も喜びと共になされました。
 
信徒向けのこの分かち合いは、まず日本語での祈りの後、ひとつの主日を順番に担当する司会者が選び、当日の "聖書と典礼" を使って朗読箇所、第一朗読、答唱詩編、第二朗読、福音書と順番に読み、注釈を見て意味をひも解きながら気付いたことや、いただいた恵みなどを自由に分かち合います。
 
この日は、3月1日 四旬節第4主日 (B年) を司会者が選びました
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この、主日の「聖書と典礼」は、KLカトリック日本人コミュニティを応援してくださっている日本在住のカトリックの方がご好意で毎月、翌月分一括をくださっているものです。このようにたくさんの方々のお祈りとサポートによって、異国マレーシアにおいて日本語でのカトリック共同体が在ることに、大変感謝です。
 
海外で貴重なこの「聖書と典礼」は、KLカトリック日本人コミュニティはもちろん、シンガポールカトリック日本人グループさんにも写真でシェアして、英語や他国語のミサに与る海外在住の多くの信徒の方々に役立っています。
 
海外在住の方で「聖書と典礼」がほしい方は、kljpcatholic@yahoo.co.jp までご連絡ください、写真をお送りできます。
また、オリエンス発行月刊誌「福音宣教」には、晴佐久昌英神父様が「福音家族」という題で2018年1月から1年間、連載を続けていらっしゃいます。
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海外在住の方で、あわせてこちらもお読みになりたい方は、ご連絡ください。
 
 
分かち合いでは、その後晴佐久昌英神父様の "福音の村" サイトからその日のお説教を読み、さらに深く分かち合いをしていきます。終わりに、司会者が聖歌を選んで、皆で歌うという段取りになっています。
 
毎回、出席者に配られる分かち合い資料として使う「福音の村」コピー
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以下は自由に分かち合った内容の一部です。
・フランシスコ教皇さまがおっしゃる福音宣教、聖書の言葉を使わずに自分の体験を信仰で語る、にはそれぞれがこれまでの神の恵みの体験を思い起こし、言葉にする作業をしなければ簡単ではない。
・それには霊性・直感・センスを磨く(神様から恵みとしていただく)を意識することが有効となるだろう。
・晴佐久神父様の「福音の村」が私たちにわかりやすいのは、神父様ご自身の体験を信仰で語っているからだと思う。
・教皇様ご自身も、かつて一般社会で色々なご経験をなさっていることが、そのお説教が体験に基づいて具体的で私たちにわかりやすい。
・翻って私たちも、日常の様々な出来事の中に神の恵みを見つけ出し、自分の体験を信仰で語りたい。
・自分の長いこれまでの人生を振り返る時、その時々に神さまの介入がありそれが今の私の救いになっている。
・私も、もうダメと思った時に何かしるし(今思えば神のみ手)が現われたことに気づく。
・今日の福音「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16) は本当に福音の核となるみ言葉だ。私たちもここは忘れず日々信仰生活を送りたい。
 
5月の復活節の祭壇のお花はひまわり
 
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言葉も習慣も慣れない海外での信仰生活ですが、日本語を話す司祭や修道者はここマレーシアには1人もいません。そんな中、聖書を1人寂しく読むのではなく、母国語日本語で聖書を一緒に読み、そしていただいた恵みを分かち合い、祈り励ましあえる信仰の仲間たちの存在は大変ありがたいです。神に感謝。
終わりに、聖歌「マラナタ」を皆で歌ってこの日はお開きとなりました。
次回の分かち合いの日程は未定です。皆さんには追ってお知らせいたします。
 
 
教会敷地内のマンゴーの木には、たくさんのマンゴーの実が大きく育っています
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女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも わたしがあなたを忘れることは決してない。 (イザヤ49:15)