クアラルンプールカトリック日本人コミュニティ

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2018/10 祈りと分かち合い 求道者向けその5,その6

 
今年9月から新しく始まった、求道者の方との入門向け分かち合いも、回数を重ねるごとに、聖霊がこの方に私たちの想像をはるかに超える大きな働きをしていることを感じます。私たち信仰共同体であるKLカトリック日本人コミュニティ、そしてこの分かち合いに関わりのある所属小教区のすべての人の喜びでもあります。
 
私たちの小教区KL St. John's Cathedral は、KLタワーの近くにあります
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まず主の祈りで心を合わせて初めの祈りをします。
そして、前回に引き続き、"イエスが神の国(神の世界)をあらわす" の該当箇所を読んでいきました。
 
第5回目は、"神の国(神の世界)とは?" をテーマに、神の国・神の世界・神の支配とは何か。イエスの説いた神の国の特徴、貧しい者への福音、自分や自分の周りに神の国が始まったしるしとして、自分自身と他者を通問い存在だと思えるようになること、価値観が変わること、それが目に見えるできごととなること、などを分かち合いました。
 
今の私たちも日々イエスを受け入れるのかの決断を迫られているように感じる。
私たちは旧い心、古い価値観やとらわれがあるが、神に立ち帰ることで新しい心に変えられ、神の国が始まってくるのだろう。神の国はまだ完成はしないが、もう始まっているという緊張の中にいるようだ。私たちは弱く罪深い。神の支配は質素な形で私たち1人1人の中に建てられ、私と社会とを内側から変えていく、変えられていくことだろう。その神の愛を最高の価値基準にする生き方は私たちの幸せだが、それだけでなく神の栄光なのだろう。
 
その後、詩人で画家である星野富弘さんが事故で大けがを負った後、星野さんがイエスと出会ったいきさつのエッセイも読み、感想を自由に分かち合いました。
 
星野富弘さんの作品には心動かされます
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第6回目も、"イエスは神の国をあらわす"の続きとして、"ザアカイの心に神の国が始まった" (ルカ19:1-10) のみ言葉を読みました。ザアカイはどういう人だったのか、イエスを見たいと思うザアカイ、イエスの呼びかけ、出会い、"その" 場所で、"今日" という日とは? 探すイエス、救い、について深く読み進めていきます。
関連個所としてイザヤ35:1-10も朗読しました。イエスと出合ったザアカイの変化は、単なる奇跡でなく、イザヤが預言していた救いがここに実現したこと、これを深く味わっていきました。
 
そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで、荒れ地に川が流れる。(イザヤ35:5-6)
 
体調の悪いとき、体に痛みがある時には神さまを忘れてお祈りできないことがある。そのように神さまが私の価値基準で1番でなかった時はとても苦しい。
価値基準、優先順位、何を一番大切にするかということを考えると、ご利益主義は卒業したい。ご利益志向は、日本の習慣になっていたので、無償の愛とか奉仕、そういう動機を持つようにしたい。海外では、異なる人種の子供たちを養子にして育てたり、路上の浮浪者にたくさんお金をあげたりする人が少なくないことを知ると、こういうことが自然に行われていることに最初はカルチャーショックを受けた。社会の隅々に"愛"を垣間見ることができる。神の国は始まっている。私たちもその方向を目指したい。
 
教会は伝統的に10月はロザリオの月として、ロザリオの祈りを唱えることが勧められています。少しずつ慣れていくためにも、皆で一緒にアヴェマリアの祈りと栄唱で終わりの祈りとしました。
 
皆で分け合ったロザリオの祈りのカード
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疲れた者、重荷を負う者は、だれでもはわたしのところに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなた方は安らぎを得られる。わたしの軛は追いやすく、わたしの荷は軽いからである。(マタイ11:28-30)